ニコライ派の教義。
ニコライ派の教義。
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ペルガモ教会時代。黙示録 2:15,
「それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。わたし はニコライ派を憎んでいる。」エフェゾ時代のところでお伝えしましたが、ニコライという言葉は、二つのギリシャ語の単語からできて います。「ニカオ」は、征服を意味し、「ラオ」は普通の人、平民を意味します。だからニコライは、「平信徒を支 配する」という意味です。 それがなぜそんなに恐ろしいことなのでしょうか? とても恐ろしいのです。なぜな ら、神がご自分の教会を、選出された政治的指導者の手に委ねることは決してありえないからです。神がご 自分の教会を委ねておられるのは、神に呼ばれ、聖霊で満たされ、みことばによって生きている人たちです。 彼らを通して、人々がみことばの糧を得て養われるというのが神のみ旨なのです。神は、聖別された祭司職 が大衆を導くようにするため、階級で人を分けることをされません。もちろん指導者は聖別されていなければ なりませんが、会衆全体も聖別されなければなりません。さらに言うなら、聖書のどこにも、司祭や聖職者ら が神と人との間の仲介人になることは書かれていませんし、彼らと会衆を、主の礼拝において区別すると記 された箇所もありません。神はすべての人に愛され、すべての人が一緒に神に仕えることを願っておられま す。 ニコライ主義は神のこの指針を破り、代わりに聖職者を会衆と区別し、奉仕するためではなく、君臨す るために指導者をたてたのです。
エフェソ時代に、この教えは行為として始まりました。 問題は、「長老」(presbyters)と「監督」 (bishops)と言う二つの言葉にあるようです。それぞれの教会に長老たちが存在していることを聖書は示し ていますが、ある者たちが(イグナティウスはその一人)新たな考えを教え始めました。それによると、司教(監 督)というのは優秀な者、あるいは権威を持つ者、かつ長老を監督する者ということです。 つまり、「長老」が人間を指すのに対し、「司教」は同じ人物の役職を指すのです。長老は人です。司教 は人の役職です。「長老」はこれまでも、これからも、主にあっての年配者をさします。選出されたわけでも命 じられたわけでもなく、ただ人より年をとっているから長老なのです。長老は初心者ではなく、ベテランで訓 練された者で、キリスト者としての長い体験に培われた信頼性があります。 しかし司教たちはパウロの書簡にとらわれることなく、むしろ、パウロが長老たちをエペソからミレトに呼 び寄せて語った言葉(使徒の働き 12 章)に着目しました。
「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。」(使徒 20:17) 「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自分の血をも って買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったの です。」(使徒 20:28)
節で長老と呼ばれている人たちが、28 節では監督(司教)と呼ばれています。司教たちはこれらの聖 書箇所を(政治的思考と権力欲から)誇大解釈して、パウロが言った「監督」に、所属教会を監督する長老の 資格以上の意味を与えました。彼らによって、司教は多くの地方指導者を統括する権限を持つ者となったの です。これは聖書的ではありませんし、歴史上も例を見たことがありません。それなのに、徳の人ポリュカル ポスでさえ、そのような組織に心を寄せてしまいました。
こうして、エペソ時代に行為から始まったものが、堂々たる教義となり、こんにちに至っています。司教は 人を支配下におき、彼らを意のままに取り扱い、人事を操ることを当然の権利と思っています。これは、「バル ナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた、聖霊の主導権を 真っ向から否定する行為です。これは反聖書、反キリストです。
「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。『あなたがたも知っているとおり、異邦人 の支配者たちは彼ら@@を支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、み なに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたの僕になりなさい。人の子が 来たのが、仕えられるためでなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの 代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。』」(マタイ 20:25-28) 「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなた がたはみな兄弟だからです。あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがた の父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。」(マタイ 23:8-9)
ニコライ主義について、もっとはっきり説明しましょう。聖書は、「その頭のうちの一つは打ち殺されたか と思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従った」(黙示録 13:3)と 記しています。傷を負った頭が異教徒のローマ帝国であることはすでにお知らせしました。その世界的に強 大な政治的頭が、今度は「ローマ・カトリック霊的帝国」として復活したのです。 ここに注意してください。異 教徒の政治的ローマが勢力を拡大させた鍵は何でしょう。それは、「分裂させ、征服した」ことです。ローマ の政策の種は分離と征服です。ローマは鉄の歯で噛み砕きました。彼女に食いちぎられたものは、カルタゴ が彼女によって破壊されたときのように、二度と立ち上がることができなくなりました。同じ鉄の種が、彼女が 偽の教会として復活したときに残っていて、同じ政策「分離と征服」も残っていました。それがニコライ主義 で、神はそれを憎んでおられます。
さて、これはよく知られた歴史的事実ですが、教会に誤りが入り込んだあと、人々は司教の職を得よう と競い合いました。その結果、司教の地位には、教育が高く、物質的に向上心があり、政治的関心の強い人 物が選ばれるようになりました。人の知識や企画が、神の知恵の座を乗っ取り、聖霊の押さえはきかなくなり ました。これは本当に悲惨な悪の行為です。司教はずっとその地位を維持し続けるようになりました。彼らは もはや、教会でみことばを教えたり儀式を行うために必須である、キリスト者としての率直な資質を必要とし なくなりました。パンとぶどう酒と式典だけが重視されるようになったからです。悪者(誘惑する者)が羊の群 れを引き裂く土壌ができました。
司教の地位を昇進させることは人が作り出した考えであって、聖書とは一致しません。しかし彼らが次 にしたのは、階級的称号の授与で、それによりキリスト教に階層制度ができました。まもなく、司教の上位に は大司教が、大司教の上には枢機卿が置かれるようになしました。そしてボニファティウス 3 世の時代か ら、教皇がすべての聖職の頂点に立つようになりました。ローマの神官、ローマ教皇です。 ニコライ派の教義と、キリスト教とバビロン信仰の融合によって得られた最終結果は、エゼキエルが目 撃したものです。
「私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの 家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。」(エゼキエル 8:10) 「彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして悪霊の住まい、あ らゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。それは、す べての国々の民が、彼女の不品行に対する御怒りのぶどう酒を飲んだからだ。」(黙示録 18:2)
このニコライ派の教え、彼らが教会に制定した規則は、きちんと適用されていたとは言えませんでした。 多くの人は、当時残っていた、神の人が書いた手紙や随筆を読むことができたからです。 では次に教会は 何をしたでしょうか? 正しい教えをする教師を追放し、聖書を焼き、そして言いました、「聖書を読んで理解す るためには特別な教育が必要だ。パウロが書いた多くのものを理解するのは難しいと、ペトロが言ったのが 証拠だ。」 それから人々は、司祭が語ることだけを聞き、司祭が指示することだけをするようになりました。司 祭たちはそれを神と呼び、神の神聖なことばと呼びました。彼らは人々の精神と生活をとりあげ、人々を横暴 な聖職者の召使いにしてしまいました。
カトリック教会が人民の生活や精神に干渉した証拠に、以下のテオドシウスの勅令があります。 この勅令は、テオドシウス帝がローマ第一教会で洗礼を受けて間も無く、発令されました。「私たち(テオ ドシウスとグラティアヌス、ウァレンティアヌスの3人の東西ローマ皇帝)は、使徒ペトロがローマ人にもたらし、 ローマ教皇ダマスス 1 世とアレクサンドリア総主教ペトロス 2 世が支持する、父と子と聖霊の三位一体性 を信仰することを強く勧める。私たちは、この信仰を支持する者を普遍的(カトリック)クリスチャンと呼ぶこと を命じる。これ以外の宗教を信じる愚かな者たちには、異端者という不名誉な名前を与え、教会という名前 で秘密の礼拝集会を持つことを禁じる。彼らには神の裁きが下ることになるが、その前に、天からの知恵を授 かっている我々の権威で重罰を彼らに与えなければならない。・・・・・」 この皇帝が発令した 15 の刑法は長年効力を持ち、福音を宣教するためのあらゆる権利を剥奪しまし た。福音を宣教する者を公の場から締め出し、彼らに罰金、没収、追放を科すると脅し、死を宣告することも ありました。こんにち私たちにも、同じ運命がやって来ようとしているのに気づいていますか?
ローマ・カトリック教会は、母なる教会、最初の教会と称しています。そのとおり。彼女はローマに最初に できた第一教会で、堕落して罪に陥った教会です。初めに組織化した教会です。ニコライ主義の行為がなさ れ、のちにはそれが教義となって培われている教会です。彼女が母であることを疑う余地はないでしょう。 この教会は母であり、娘たちを産みました。女から娘が生まれたのです。女は緋の衣をまとい、ローマの七つ の丘の上に座しています。彼女は売春婦で、娘たちを産みました。その娘たちとは、プロテスタント教会のこ とで、カトリックから出ましたが、組織化してニコライ主義に戻りました。娘教会を産んだ母は大淫婦と呼ば れています。結婚の誓いに不誠実な女で、神と結婚したのに、悪魔と不貞を犯し、その結果彼女に似た娘た ちを産みました。 この母と娘を合わせて、みことばに反するもの、御霊に反するもの、つまり反キリストといい ます。そうです。彼女たちは反キリストです。
さて、初期の司祭たちは、自分たちをみことばの権威の上に置いていました。彼らは、人々が罪を告白す れば、司祭はその罪を許すことができると教えていました。それはまったくの誤りです。2世紀から、彼らは赤 子に洗礼を授け始めました。また、再生のための洗礼の秘蹟というものを行いました。こんにち、人々が混乱 しているのは無理もありません。聖霊降臨からそう時間が経っていなかった時代にすでにこのように混乱し ていたのですから。そしてそれから 2000 年間も、本物の真理から離れてきたのですから、当然のごとく絶 望的な状態にあるのです。
教会よ、神の教会よ、一つだけ希望があります。それはみことばに戻って、みこと ばを守ることです。
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