イエス・キリスト の黙示.
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イエス・キリスト の黙示.ヨハネの黙示録 1:4-6。
「ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前にお られる七つの御霊から、また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者で あるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血に よって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方 である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」ヨハネの黙示録 1:8。
神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファで あり、オメガである。」「アジア」という単語は、実際に小アジアを意味します。それは、インディアナ州の大きさぐらいの小さい区画 です。七つの教会は、それぞれの特徴によって他のすべての教会から選ばれました。同じ特徴はその後の何世 紀間に続けて到来するそれぞれの教会時代に見えます。
王座の前に七つの霊は、それぞれが住んでいた時代に向けた伝道事業を与えられた7人の使者の聖霊で す。
「今いまし」、「昔いまし」、「後に来られる方」、そして 「死者の中から最初によみがえられた方」、「地上の王 たちの支配者」。「アルファであり、オメガ」、「万物の支配者」、といったこれらのすべての表現はただ一人の同 じ人物を指しています。それは御自分の血で私たちの罪を洗って下さった主イエス·キリストです。
ヨハネにおける神の御霊は、イエス·キリストの最高神性を定め、神格を唯一神として明らかにするために表 現しています。今日は致命的な誤りがあります。これは、唯一神の代わりに3つの神がいると主張することです。 イエスは、御自身でヨハネにこの黙示を与えられ、この誤りを訂正しています。それは、3つの神ではなく、3つの 職務を持つ唯一神がいるということです。父、子、聖霊という3つのタイトルを持たれる唯一神がおられます。こ の強大な黙示は、初期の教会が持っていたものであり、それは水のバプテスマの正しい方式と一緒に、この最 後の日に復興させなければなりません。
現代の神学者は私を賛成しません。なぜならある偉大なキリスト教の雑誌に下記のように書いてあります: 「その教えは(三位一体について)まさしく旧約聖書の中心と核心であり、同様に完全に新約聖書の核心でも あるのです。新約聖書は旧約聖書と同じく複数の神が存在するという教えに反対しています。しかし、新約聖 書は同じようにはっきりと父は神であり、御子は神であり、そして聖霊は神であることを教示しています。これら の3つは、同じ人の3つの側面ではなく、お互いに本当に個人的な関係で立っている3人です。新約聖書は同 等の透明性と教えています、父は神であり、御子は神であり、聖霊は神である。そこで、我々は3つで一つの神と いう偉大な教義を持っています。」
彼らはまたこう言っています、「神は、聖書によれば、ただ一つではなく、3つが一つの神の中にいるのです。こ れは三位一体の大きな奥義です」。
それは確かに大きな奥義です。どのように3つが唯一神になることができますか?それを支える聖書はありま せん。また、それは知的な推論にさえも不足していることを示しています。3つの異なった人は、同一の実質で も、3つの神になるのです。そうじゃなかったら、言語的にまったく意味を失ってしまったことになります。
再び、これらの言葉に耳を傾けて、「私はアルファであり、オメガ、始まりと終わり、主はこう仰せられた、後に 来られる方、万物の支配者がこう言われる。」(ヨハネの黙示録1:8)。これが神性です。これは、単に人間の預 言者ではありません。これが神です。そしてそれは、三つの神の黙示ではなく、唯一神、全能の神の黙示です。 最初の教会は3つの神を信じていませんでした。あなたは、使徒たちの中でこのように信じる者を見つけるこ とができません。この理論は使徒時代の後のニカイア会議で入ってきて、本当に議題、そして核心教義になり ました。神性の教義はニカイアで二方向に分かれました。そしてその分割から両極端ができました一つは、実際 には3つの神を信じ、多神教に入りました、そして、他のものはユニテリアンに入りました。もちろん、この教義は 時間をかけて現れました。しかしそれは確実にきて、今もあります。しかし、ヨハネの黙示録を通して聖霊によっ て教会に与えた黙示は、「私は主イエス·キリスト、私はそれのすべてです。他の神はいません」でした。そして彼 は、この黙示録の上に御自分の印を押されました。
考えてみましょう:誰がイエスの父なのでしょうか。マタイ1:18では、「彼女は聖霊によって妊娠していた」と 書かれています。しかしイエス御自身は神が御自分の父であると主張されました。私たちはしばしば、これらの 用語を表現するように、父の神と聖霊の神は父と聖霊一つにしているのです。もちろんそうです。そうでなかっ たら、イエスは二人の父がいることになってしまいます。イエスは御自分と御自分の父は一つであり、二人では ないと述べられたことに気づいてください(ヨハネの福音書10:30)。それは神が唯一神であることを証明して います。
このことは歴史的にも聖書的にも真理なので、人々は三位一体がどこから来たのだろうかと不思議に思うで しょう。これは、紀元後325年にニカイア会議での基本教義になりました。この三位一体は(絶対的に聖書に反 する名詞)ローマの多くの神に基づいていたのです。ローマ人は多くの神々を持ち、彼らは多くの神々に祈りま した。彼らはまた、先祖を仲介者とみなして、先祖に祈りました。それは、古い神々に新しい名前を与えるための 手順だったので、彼らは聖徒を使うことによってこういうことを聖書化にするのです。したがって、木星、ヴェネ ツィア、火星などの代わりに、彼らはパウロ、ペテロ、ファティマ、クリストファーを使ったのです。彼らは、唯一の神 を通して異教の宗教の仕事を作ることができなかったため、神を三つに分割しました。彼らの祖先は仲介者に していたように、この聖徒たちは彼らの仲介者にされました。
それ以来、人々は3つの職務もしくは現われを持つただ一つの神であることに気づきません。彼らは聖書によ ると神は一つであることを知っています。しかし、彼らは神がぶどうの房のようなもので、同じ神性を持っている という3つの身柄は全員が平等に共有しているような異様な理論にしようとしました。 しかし、ヨハネの黙示録 にははっきりイエスは「今いまし」、「昔いまし」、「後に来られる方」であると書かれています。「アルファとオメガ」 はイエスが「AからZまで」 、或いは「これのすべて」であることを意味しています。主はすべてです。主は全能 です。主はシャロンのバラ、谷のゆりの花(ソロモンの雅歌2:1)、輝く明けの明星(ヨハネの黙示録22:16)、正 義の若枝(エレミヤ書23:5)、永遠の父(イザヤ書9:6)父、子、聖霊(マタイの福音書28:19)です。主は、全能 の神であり、唯一の神です。
テモテへの手紙第一3:16にこう書かれています、「確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。『神は肉におい て現れ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光 のうちに上げられた。』」これは、聖書に書かれていることです。ここでは第一または第二または第三者について の事は書かれていません。それは、神が肉体においての現われだったと書かれています。唯一の神です。唯一 の神は、肉体において現われました。それではっきり決着がつきます。神は人間の形でいらっしゃいました。それ は別の神になりません。神であり、同じ神です。そして、それは黙示であり、それは今でも黙示です。唯一の神で す。
私たちは聖書の中に戻って、初めに、与えられた神御自身の黙示を見てみましょう。偉大なエホバは火の柱 でイスラエルに現われました。聖約の天使として、その火の柱に住んでいて、毎日イスラエルを導きました。聖 殿では、彼は偉大な雲で御自分の到来を告げられました。そしてある日、神はご自分のために用意された処女 に生まれた体内に現れました。イスラエルのテントの上に住んでいた神は、自分自身肉のテントを取り人間の 仲間として住んでいたが、同じ神であった。
聖書は、神がキリストの中にいることを教えています(コリント人への手紙 第一5:19)。身体はイエスです、キ リストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています(コロサイ人への手紙2:9)。これ以上の 明確なことはありません。奥義でしょう、確かにそうですが、実際の真理であります、十分に明確なことでありま す。昔は3つの神ではなかったら、今も3つの神ではあり得ないのです。唯一の神であり、この同じ神が人となり ました(ヨハネの福音書1:14)。
イエスは言いました「わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きま す。」、ヨハネの福音書16:27-28。まさにそれが起こりました。主は御自分の死、埋葬、復活、そして昇天の方法 で地球から姿を消されました。そこでパウロは、ダマスコへの道で主に会い、主はパウロに話しかけて言われた 「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒の働き9:3-5)。主は火の柱、光でした。主は肉体の幕 屋の前にいたのと同じ形に戻った。それはヨハネが見たこととまったく同じです。ヨハネの福音書1:18 「いま だかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」ヨハネ が言っているイエスがいる所に注目してください。主は父の懐におられます。
ルカの福音書2:11 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ 主キリストです。」天使は彼らに言ったとおりに、彼は、キリストとして生まれた、8日後イエスと名付けられ割礼さ れました。私はブラハムの家族に生まれた、私が生まれたとき、彼らは私にウィリアムという名を付けました。彼 はキリストですが人間の仲間にイエスの御名を付けられました。人々が見える幕屋はイエスと呼ばれました。彼 は栄光の主であり、全能者が肉体で現われました。彼は父、子、聖霊と呼ばれる神です。すべてのことは彼を指 しています。
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ダウンロード (英語)... Godhead Explained