パトモス島の幻。
パトモス島にいたヨハネ。
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パトモス島の幻。ヨハネの黙示録 1:9-10
「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかってい る者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。」彼はパトモス島に追放された時に、このイエス·キリストの黙示録の幻のシリーズはヨハネに与えられました。 この小さな島は、エーゲ海の小アジアの海岸の沖から30マイル離れています。その島は岩だらけで、ヘビ、トカ ゲやサソリが多く生息し、ほとんど商業的価値がなかったので、ローマ帝国はそこを刑務所として使用し、やけ くそになった犯罪者、政治犯などを収容しました。
ヨハネはキリスト教徒に自分を紹介する時に、自分は試練中にいる兄弟だと言っていることに気づくでしょ う。あの時、初期の教会は大きな迫害に遭っていました。彼らの宗教は至る所で批判されるだけでなく、彼ら自 身が投獄され、殺されました。ヨハネは、ほかの大勢の信者と同様に、神の御言葉とイエス·キリストの証言のた めに投獄され、苦しんでいました。逮捕されたとき、その人たちはヨハネを二十四時間の間に油で焼き殺そうと しましたが、無駄でした。激怒された無力な役人は彼のことを魔法使いだとして言い渡し、パトモス島に投獄し ました。しかし、神は彼とともに居られて、彼は島を出て死の時まで牧師としてエフェソスに勤務し続けました。
七重の栄光。
ヨハネの黙示録 1:14-16
「その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、 炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持 ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」イエスがヨハネに現れたのはなんと人々に霊感を与えることでしょう! ヨハネは御言葉のために追放されま した。ほら、いまは、生きている御言葉が彼の前に立っています。すべての特徴の描写は独自の意味を持ちま す。なんと感動的な幻でしょう。神の栄光についてなんという啓示でしょう。
1. その髪の毛は雪のように白く。
ヨハネは最初に注目し、言及したのは 主の髪の白さです。白で、雪のように明るいです。これは、年齢と関係 ありません。いや、輝く白髪は年齢ではなく、経験、成熟度、そして知恵を意味しています。永遠の神は、年齢が ありません。神にとって時間は何ですか?時間は、神にとってあまり意味がないものです、しかし、知恵は神に とって重要なことです。 ソロモンがイスラエルの人々を判断する知恵を神に求めたときなどがそうでした。今主 は、全地球の審判のために来られています 。 主は知恵の冠とされます、それは白と輝く髪が意味するもので す。
ダニエルはその白い髪の毛の主を見ました。主は本を開いて審判しました。ダニエルは、主が雲に乗って やって来られるのを見ました。 それはヨハネが見たのとまさに一緒です。両方共まったく同じ主の御様子を見ま した。 彼らは、あの裁判官が肩に裁判の帯を巻き、純粋で聖潔に立って、世界を判断する正義と知恵、そして資 格に満ちているのを見ました。
2. その目は炎のよう。
考えてください。一度悲しみと同情の涙でほの暗い目。ラザロの墓で思いやりに泣いた目です。その目は自 分自身を十字架につけた殺人犯たちの悪を見ずに、悲しみにくれて「父よ。彼らをお赦しください。」と叫びまし た。[ルカの福音書23:34]今その目は燃える炎のようで、自分を拒絶した人々に報いる裁判官の目となってい ます。 人の子として登場した時に、すべての人間の感情の中で彼は最も明らかに現わしていました。彼はしばしば 泣きました[ヨハネの福音書11:35; ヘブル人への手紙5:7; イザヤ書53:3]。しかし、その涙と悲しみの背後で も、彼は神です。 これらと同じ目は幻を見ました。これらの目は、人々の心の奥を深く見て、人の心の思いを読み、人の様々な 行いを知っていました。この肉眼から光を放つ神は、自分自身を知らなかった人に叫んでいました。 ヨハネの福音書8:24、 「…もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」 「もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行って いるなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。…」(ヨハネの福音書10:37-38) 昔のエレミヤのように、彼は涙の預言者でした。人たちは神の御言葉を聞き入れず、啓示を無視しているから です。
裁判官の燃える炎のような目は、今でもすべての人々の生活を記録しています。主はその御目をもって、あま ねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです[歴代誌 16:9]。主が知らないものは何もありません[詩篇139:15-16; 箴言15:3]。主は人の心の欲望と意図を全部 ご存知です。神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。 [ヘブル人への手紙4:13]。良く考えて見てください、主は今あなたが何を考えているのかもご存知です。
はい、主は炎のような目で、裁判官としてそこに立って裁判しています。憐みの日は終わりました。また時間 があるうちに、人たちは悔い改めて正義の中に主の御顔を求めることができます。世界が火で溶かされる前に、 彼らは主の御胸を自分の枕とすることが出来ます(ペテロの手紙 第二3:7,10)。
3. 真鍮の足。
「1:15 その足は、炉で精錬されて光り輝く真鍮のようであり...」真鍮は、顕著な硬さのために注目されます。 ここで書かれた主の真鍮の脚はもっと注目に値します:誰も耐えられなかった猛烈な炉の中の試験を耐えたた めです。これは絶対に正しいです、真鍮は神の裁きの意味をしています:神が定めて行った裁きです。 民数記21:8-9 「すると、主はモーセに仰せられた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた 者は、それを仰ぎ見れば、生きる。』 イスラエルは罪を犯しました。罪は裁判にかけなければなりませんでし た。そのため神はモーセに一匹の青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけるように命じられました。もし蛇が 人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、助かりました。」
しかし、いつの日か真鍮のもの足が地上に立つだろう。そして、全地の裁判官はいなければならなく、公平に しかも完璧に人類を判断させていただきます。そして、その正義の判断を回避したり、転覆したり、介入したりす ることはできません。焼き戻しはありません。不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを 行いなさい。神は変わることはありません。今まで変わったことがなかったし、これからも決して変わりません。真 鍮の足が敵を粉砕します。彼らは反キリスト、獣とその像と彼の目の前に悪を行ったものをすべて破壊する。彼 は、御自分の栄光の聖なる名を台無しにした教会のシステムを滅ぼし、反キリストと一緒に粉砕します。[ヨハネ の黙示録19:20]すべての邪悪、無神論者、不可知論者、モダニスト(近代主義者)、リベラル派(近代主義者) は、すべてそこにいるでしょう。死、地獄、そして墓があるでしょう[ヨハネの黙示録20:10-15]。はい、すべてあ そこにあります。主は本を開かれます。生温い教会[ヨハネの黙示録3:15-16]と5つの愚かな処女[マタイの福 音書25:1-13]が登場します。主は、善悪を区別されます[マタイの福音書25:32]。主が来て王国を引き継が れます、それは主の御国だからです。主に仕える何千何万の花嫁は一緒にいます。栄光かな!ああ、手遅れに なる前に、今悔い改めて下さい。今、時間がある時に、死人の中から目覚めて神の聖霊に満たされるようにし、 永遠の命を逃れないように神を求めてください[ヨハネの黙示録5:11-13]。
4. 主の声は大水の音のようであった。
水は何を表しますか?ヨハネの黙示録17:15の聖句を聞いてください 「、、、あなたが見た水,、、、もろもろの 民族、群衆、国民、国語です。」 主の声は群衆の話し声のようです。これは裁きです。これは各時代に聖霊による福音を伝えた群衆のキリス トへの証言の声です。裁きの時に、証人たちが警告を聞かない罪人を責める声です。七人の使者の声は大きく 聞こえます。忠実な伝道者はイエス・キリストの救いの御力を伝え、主イエス・キリストの御名によるバプテスマ を伝え、聖霊の御力と聖霊に満たされることを伝えました。彼らは自分のいのちよりも神の御言葉を守ります。 彼らはすべて各時代に聖霊によるイエス・キリストの声です。 ヨハネの福音書17:20「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いしま す。」
ああ、あなたがたが分かるように願っております。世界を破壊した同じ水はノアを救い[ペテロの手紙 第二3: 6、創世記:6-8章]、またノアのために地球全体を救いました[ペテロの手紙 第一3:20]。主の声、主のしもべた ちの声に耳を傾けて下さい、どうしてかと言うと、それは悔い改めと命への呼び出しだからです。
5. 主の右の手の中には七つの星があります。
「主の右の手の中には七つの星があります。」もちろん、我々は20節からすでに七つの星は実際になんなの かを知っています。 「七つの星は七つの教会の御使い(メッセンジャー)たちである。」(ヨハネの黙示録1:20) 主はすでに私たちに解釈したので、我々はここで間違える理由はありません。これら七つの星は七つの継続 した教会時代の使者です。 彼らは名前で呼ばれていません。ただ、彼らは7人と記載されています、各教会時 代には1人がいます。エペソ時代からこのラオデキア時代へのそれぞれの使者が、人々に真実のメッセージを 持って来ました。それはその特定の教会の時代への神の御言葉を伝えるために失敗することはありません。一 人一人が御言葉を保有します。 彼らは元の光に忠実で確実でした。各時代の教会は神から引き離されたの で、主の忠実な使者は、御言葉に向けさせました。彼らの能力は、主から来たもので、そうでなければ流れに抵 抗することはできないでしょう。彼らは神の御加護のもとに安全であり、病気、患難、危険、裸、飢え、剣、苦しみ、 迫害、危険、生きること、死ぬことなど、彼らをキリストの愛から引き離すものは、なにもないからです。[ローマ人 への手紙8:35-39]彼らは本当に主に完全に屈服して主の全能によって保たられました。彼らは自分の身に来 る迫害を心配しませんでした。痛みや嘲笑はあるけど、彼らは、自分たちは御名のためにはずかしめられるに値 する者と思い[使徒5:41]、神に栄光を捧げました。 主の救いのために神に感謝し、主の命の火で自分の人生 を燃やし、主の愛、忍耐、柔和、節制、優しさ、誠実さを反映しています。 神は不思議、しるし、そして奇跡で彼 らを試みます。彼らは狂信者、聖なるローラーであると非難されます。彼らは宗教組織に弾劾・嘲笑されますが、 御言葉を忠実に守ります。
この慰めは七つの教会時代の使者だけに適用するものではありません、すべての真の信者は神の手の中に あり、主の愛と力を受けられ、神が信者に与えるすべての益を十分に受けることができます。神は使者を与えら れたもの、そして使者を祝福し遣われることは、すべての信者にとって御手本であり、神の善と関心を現してい ます。アーメン。
6. 両刃の剣。
「口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」 ヘブル人への手紙4:12では、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節 と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と書かれて いる。神の口からは鋭い両刃の剣が出て、それは神の御言葉なのです。
ヘブル人への手紙、「 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできませ ん。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。」 今パウロは、御言葉は声によってだけではなく、力によって来られると言いました。御言葉は、実際に自分自 身を証明されます。火をともしている剣のように人々の良心まで切りつけ、外科医のナイフのように病気を切り 取り、患者に自由を与えます。初期の信者が出て、至る所で「福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、御言葉 に伴うしるしをもって、御言葉を確かなものとされた。」病人はいやされ、悪霊を追い出されました。彼らは新しい 異言を語ります。行動中の言葉でした。その御言葉は信じるクリスチャンの口で失敗したことがありませんでし た。そして御言葉は最後の時代にいつもより、真の御言葉の花嫁の中で力強くなります。ああ、小さな群れよ。 恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。[ルカの福音書12: 32]
7. 顔は強く照り輝く太陽のようであった。
ヨハネの黙示録1:16
「また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」ヨハネの黙示録 21:23においてこう書かれている、 「都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからで ある。」 これは新しいエルサレムです。小羊は、その都市におられます。主がおられるため、光は要りません。太陽が 上昇し照らします、主自身は太陽と光です。国々の人が都に来て主の光の中で歩いています。あの日が近づい ていることに喜びを感じませんか。ヨハネはその日が来るのを見ました。主イエスよ、早く来てください!
マラキ書4:1-3 「見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。 来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。──万軍の主は仰せられる──しかし、わた しの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の 子牛のようにはね回る。あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがた の足の下で灰となるからだ。──万軍の主は仰せられる──」 ここで主は再び現われます。太陽は強く輝きます。ああ、神の御子の力は、七つの金の燭台の真中で輝きま す。そこで彼は立っています。私たちのために苦しみ、亡くなられた裁判官はそこに立っておられます。彼は御 自分で神の裁きの怒りを背負われました。彼は一人で、神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれます(黙示録19: 15)。すでに述べたように、罪人に、主の声は大滝や岩が多い岸に死亡の波の音のように聞こえます。しかし聖 徒にとって、キリストの中で満足し、横になって休む時に、主の声は優しく歌っているせせらぎの音になります。 主の暖かい愛の光線は、私たちを照らしてこう言われます、「恐れないで、神である主、今いまし、昔いまし、後に 来られる方、私以外に誰もいない、わたしはアルファであり、オメガである。」[黙示録1:8、17-18] 主はいば らの中のゆりの花[雅歌2:1]、輝く明けの明星です[黙示録22:16]。私にとっては、主は千万人の中にもっと も良き方です。そうです、あの日はもうすぐ来ます。義の太陽が上り、その翼には、いやしがあります[マラキ書4:2]。
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パトモス島の幻。