預言によってはっきりされた現在の出来事。
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主の言葉は預言者に来る。
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預言によってはっきりされた現在の出来事。彼等はペンテコステであるあなた方に45年から55年前に言いました。あなたの母親や父親は組織から 出て純粋なペンテコステだった時、組織の事を呪いそこから歩き出ました。そして、犬がその吐き出したもの に戻るかのように又戻ったのです。同じことをして教会を殺しあなた自身も同じことで殺したのです。そこに いた人々に何も敵対していません、その体制に対してだけです、そのような事をしているからです。
そして彼らが神の御言葉の預言が成就いする事が確証をされるのを見落としているのに気が付いて 下さい。もしその祭司達が、彼らが救い主が来られる方法をまさに決めていたのです、彼等はそれがどのよ うになされるかを知っていました。パリサイ人達は彼等自身の考えがあり、又サドカイ人もヘロデの者達も 皆、彼等自身の考え方がありました。しかし彼はそのようには来なかったのです、それらすべての物とは反す る形で来られました、しかしその御言葉通りだったのです。イエス様はここでも同じことをいわれていました。 「もし私を知っていたならば、私の時を知っているべきだった。もし知っていたならば、、あなたは「さて、モーゼ が居た、」というしかし「もしあなた方がモーゼを信じていたならば、私を信じる事であろうなぜならば彼は私 の事を書いていた。
しかし分かりますね、神が約束された通りの事を確証する時、彼等はイエスが来るべき世的に受け入 れられる方法を持っていたのです、つまり、救い主としてです。 救い主は彼らのグループに来なければならなかったのですでなければ彼は救い主ではありませんでし た。さて、それがその道で、ほとんど、今日と同様です、「私の眼鏡を通してみないならば、あなたは何も見て いない」分かりませうん、そしてそれがそういう事だったのです、それが真理です。我々はその様に考えたくな いけれどもそれが全くの真実なのです。
へブル書1:1神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られ たが、神は決して神学者によって書かせることもなく又神学者によって解き明かされた事もない。神学者が 神の言葉を解釈した事は歴史上一度もないのです。解き明かしは預言者によってのみ来るのです。そして 唯一この時代の汚れから出る方法は神が我あれに送ってくださった預言者なのです、それ以外にはないの ですそれが唯一の方法になるのです。そう信じられ、見られそしてそれは成就されています。 分かりますね、人によって書かれたのではないのですがそれは神によって書かれたのです。それは人 の書でもなく、神学者の書でもないのです。それは神の書であり預言者によって書かれ預言者達によって解 き明かされた預言の書なのです。聖書はこう告げています。「主の言葉は預言者に来る」その通りです!
イエス様がこの地上に来られたときの事をどれ程美しく書かれ、実行されたのでしょう、そしてヨハネは その時代の預言者でしたとして彼は預言していました。彼等は言いました、「オーつまり、神は我々の大きな 協会をここにあるものを全て壊すと言うのですか?」そしすか? 神は言われました、神が神の子羊である人を犠牲に捧げる時が来ると書かれていると言いました。そし てイエスが来られるとき彼に知らされるともいわれました。ご存知のように神はここに立っておられるので す、そしてそのことをあなた方は知りません。神は我々の中におられますが、あなた方はそのことを知りません。 ある日、イエス様が出て行かれたころヨハネが上を向いてそして神の上にその印が見えたのです。彼は 言いました、「見よ、この世の罪を取り除く神の子羊」同じ時にイエス様は彼が人々の前に指示されていた言 葉でした。彼は言いました、同時にイエス様は彼がその時代に指定されていることを知っていました。「初め に言葉があった、言葉が神と共にあった。言葉は神であった。そしてその言葉が肉体を取って来られ我レの 中に住まわれた」そしてここに神は居られます、、地上の御言葉(完璧です!)預言者に水を通してきているの です。
その通りです。その御言葉は常に神の預言者に来るのです。だから我々は神学者に来ることを期待す る事は出来ません。宗派に下ってくることも期待できないのです。神のチャンネルでそれについて我々より先 に告げるそれ以外の方はないのです。それは憎まれ、嫌われ、拒否されます。それが来るとき、片側に投げら れそしてすべて、しかし神は何とかしてそれをなされるのです。それはイエスキリストの中で拒否され又ヨハ ネでもエレミヤでもモーゼによったものも皆受け入れられませんでした。それはいつもその方法なのです。し かし、神はそうされると約束された方法で動かれるのです。その通りです。神は同じ方法でされることを決し て失敗されることはありません。
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聖書を見て下さい、今どの時代に我々が生きているか、これらの素晴らしい事が顕されている時ですか ら。神がそれをすると約束されたとき、神はかならずいつも教会が最後の場所になる時にいかなる時代でも、 そのことをなさってきました、そして御言葉に世的な事や罪から離れて戻るのです。世的な事は罪です。聖書 は言っています、「世を愛するならばあるいは世の物を愛するならば、神の愛はあなた方の内にはない」 昨晩話したのですが、私はその捧げられた犠牲について話していましたそれこそが子羊でした。それは 7日間で7つの教会時代を表していました。膨らむパンは人々の中にはありませんでした、7日間にわたって です。その意味は、それには何も混ぜ物がなかったという事です、それは継続的に膨らまなかったのです。そ して私達は信条は欲しくありません、膨らんだり、混ぜ物になっている物も欲しくないのです。世が我々と混 ざって欲しくありません。神の種入れぬパンでなければならないのです、神の御言葉、混じり気のない神の 御言葉、「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」この時代の宗派体制と違いそして物事は我々の中で種として膨れ上がり、そしてこれやあれや世の物 や流行を入れているのです。そしてオー、それはほとんどハリウッドがどこにでもあるかのようです。それは終 にイギリスのようになるところまで来ているのです、彼等は祭壇への呼びかけさえ恥じているのです。なんと いう事!兄弟が言っていたのように「どうやって船に魚を得ることが出来るのか?」その通りです。 我々は福音を完全な形で語らなければ神が指定した力により、その時代の約束に従って、それが御心 であるとまさに証明する必要があるのです。それ以外では、ただの教会のメンバーであるだけです、どれ程 努力しても、どれ程神に奉仕しようとしてもです。奉仕の集まりに行こうとどれ程教会に忠実であったとして も、永遠の命があらかじめあなたの為に定められてその遺伝子があり、神の息子、娘になる事になっていなけ れば、何かおかしな形で育つのですが決して本当の神の息子、娘にはなれません。
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気が付いて下さい、我々は今日この様なそれをとにかく信じない多くの人々、たとえ聖霊に満たされて いてもそういった人々が居るのは分かっています。喉がつっかえるような話をしましょう。聖霊のバプテスマの 意味はそこに入ると言う意味では全くありません、あなたの魂とは全く関係がないのです。それはバプテス マです。ここの中に魂があります、それは神から来たものです。しかしそしてあなたの外側には五感がありま すそして5つの地に着くものとの関係を齎す入口が5つあるわけです。中には霊があり、5つの出口がありま す。意識、愛、などなど、5つの出口は霊に行くのです。覚えておいてください、御霊の内に、あなたは神の純 粋な御霊と共にバプテスマを受けることが出来ますがそれでもまだ失われるのです。それは生きている魂で それは神が決められているのです。イエス様は言われませんでしたか、「その日、多くの者達が私の所に来て、多くの業を行い悪霊を追い 出し預言を死ましたそれは神の賜物ではないのですか?彼は言いました、「悪行を行う者よ、行ってしまえ、 私はあなたを知りもしない。多くの物がその日に来るようになる」
カイパは預言しませんでしたか?彼は悪魔でした。我々はそこで分かるのです、、そして彼等祭司達、素 晴らしい人々は、その時代の素晴らしい指導者であるはずでした、謙虚さと全てを持ち、しかし彼らの前に洗 わされた神の御言葉自身を悟る事が出来ませんでした。
我々は沢山それらを取る事が出来ます、ここに書き出しました。バラムはどうでしたか?彼は、、あなた は、「神は彼の心を変えた」神は神の思いを変えられません! バラムが預言者として出て行き、そこにいる司教、説教師何でも呼びたいように呼んでください、彼は 偉大な人でした。しかしそこに行くときに神と相談をしたとき、イスラエルを呪うように(彼はもともと彼等の 事が好きではなかった)そして彼は行くように呼ばれたとき、神様は「行くな!」と言われました。 そして彼等は威厳ある人々が沢山送られ何人かは多分、司教とか祭司あるいは何かその様な、より教 育を受けた者が彼を説得しに来たのです。彼は戻って神に再び尋ねました。神に2度尋ねてはいけません。 神が一度最初に言われたらそれがそれなのです。何も待つ必要はないのです。
リベカは2つ目の勧めを待ちませんでした。彼等は彼女に言ったのです、行きますか?と 「彼女に言わ せなさい」 彼女は言いました。「行きます!」彼女は強く神からの勧めを受けたのです。彼女は聖書の中の女王の 一人となり、御霊が彼女の中に動き間違いなく真理の中でそれを受け入れてそれを信じたのです。
さて、我々はバラムについて分かるのは、彼には理解できなかったのです。彼は出て行って、人々を見ま したそして言ったのです。「さて、ちょっと待ってください!我々は偉大な重要な人々がここにいる、あなた方は ただの弱い人々です」分かりますね?そして我々は皆同じ神を信じています。 それはそうです。彼等は皆同じ神を信じていました、彼等は皆エホバを拝していました。バラムの捧げ ものを見て下さい、7つの祭壇、神の完全な数字、7つの教会。分かりますね、7匹の子羊、主の来臨について 話しているのです。基本的に、彼はモーゼと同じくらい原理主義者でしたが、分かる様にそれは神からの指 定がなかったのです。そこでは彼等は両方とも預言者でした。
しかしモーゼの御仕事の下では、超自然的な火の柱があり、光がキャンプを照らしていました。そこに は神の癒しがあり、王の叫び声があり、大きな印、癒し、奇跡が彼らの中で行われました。それが彼の人々の 中に生きる神がおられる印なのです。 原理的に、彼等は両方とも正しかったのです。そしてバラムは人々を説得しようとしていましたそして彼 らをその中にいれようと。いつ?約束の地に着く直前でした。 あと一日か二日で彼等は約束の地に入る事になっていました。
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