この邪悪な時代の神。
<< 前の
次に >>
キリストのために花嫁を呼びます。
William Branham.完全なアカウントを読む...
この邪悪な時代の神。さて、今朝は「この邪悪な時代の神」というテーマでお話したいと思います。 聖書を読んだ通り、この世 の神、この邪悪な時代の神... このメッセージはこの邪悪な時代の悪事を指摘し、またこの邪悪な時代につ いて預言された事に合致しています。私は、聖書にはあらゆる時代の信者に対して、各時代の問題への解 答があると信じています。我々が必要としているすべての事は聖書の中に書かれており、ただ聖霊によって 解釈される必要があるだけだと信じています。どんな人であっても神の御言葉に自分の解釈を加える権利 はないと信じています。神はその御言葉を解釈する者を必要としません。神ご自身が御言葉を解釈します。 神が何か成すであろうと約束するなら、神は当然それを成就します。
私は何回も言いましたが、神は「見よ、おとめが身ごもるだろう」と、言われました。神は預言者の口を 通してそれを語りました。そしておとめは妊娠しました。 誰もそれを解釈しなくてよいのです。初めに主は、 「光あれ」と言われました。すると光がありました。誰もそれを解釈しなくてよいのです。神は終わりの時その 霊をすべての人に注ぐであろうと言いましたが、その通り行いました。それは解釈を必要としません。 また神 は最後の日に我々が見ているこれらの事件が起きると言われました。それは何の解釈をも必要とせず、すで に解釈されています。
御言葉を勉強するとき、よく注意してください、我々が生きているこの邪悪な時代の神。 神が御名を負 う民(主の花嫁)を選び出されているこの恵みの時代が、この邪悪な時代は同時に悪事の時代と呼ばれて いるのは非常に奇妙な事のように思われるかもしれません。神がその恵みによって御名を負う民を選び出さ れているまさのこの時代が、邪悪な時代と呼ばれています。主が話されていた時代がまさにこの時代である ことを、聖書によって証明されるでしょう。
このような邪悪な時代に神がその花嫁を選び出されることは、考えても非常に不思議な事です。神は 教会ではなく、民を選び出されるという事に気付いていましたか?なぜですか?彼らは教会とも呼ばれてい るが、主は彼らを民とお呼ばれになります。 教会は異なった性質の人々によって構成されますが、神は個人 としての人を選び出されます。主は「メソジスト教会やバプテスト教会やペンテコステ教会などを選び出すで あろう」とはおっしゃいませんでした。神は民を召すであろうと言われました。 何のために?御名を負うため です(分かりますね?)。民ですね。 それはメソジスト教会の1人、バプテスト教会の1人、カトリック教会の1 人、ルター派の教会の1人という事です。主は集団としての教会ではなく、運命により御名を受け入れ、御名 のために従事し、神と結婚しようと神の一部となろうと思う、御名を負う個人を選び出されています。男性が 自分と結び合うために運命づけられた適切な妻を娶るように、キリストの花嫁は主と結び合うためにあらか じめ定められたものなのです。分かりましたか?まあ、聖書はそれほど中身が濃くて、蜂蜜に満ちています。
注意することは、誰かが言ったからとか呼んだからではなく、最後の時代に人々を召されるということ は、天地が造られる前から神がお決めになっているという事なのです。つまり組織ではなく、御名を負う人々 を選ばれるということです。神はこの邪悪で惑わしの時代にそれを実行しているのです。
先週お話したマタイによる福音書24章によれば、それは最も惑わす時代です。エデンの園から今日ま で、他にこのように惑わす時代はありません。にせ預言者たちは起こり、大いなるしるしと奇跡とを行い、でき れば選民をも惑わそうとするのです。選民は決して、人間が作った神学を基とする冷たく形式的でこわばっ た教会には注意を払わないでしょう。しかし、それは本物とたいへんよく似ています。ただちょっとした言葉を 無視しただけです。神様はこの時代にとても素晴らしい時を約束されました。キリスト教徒たちよ、どこにいて も自分たちが生きている時代には気を付けなさい。メモを取ったり聖書を読んだりしながら、よく聞いてくださ い。
なぜ神はこの邪悪な時代から御名を負う人々を選び出されるのでしょうか?その理由は、主は花嫁に 試練を受けさせになるためです。花嫁が現れる時には、悪魔に試みられ、苦しみの試練を受けるでしょう。証 明され、悪魔に証明されます。初めにあったように、最後の日にも同様な事が起るのです。
種は始め地に播かれ、芽を出して茎を伸ばして成長していきますが、最後は始めのように地に播かれ た種となってしまいます。迷いの種も始めエデンの園にまかれたように、最後の日には、同じように惑いの種 になってしまいます。福音がローマのニカイアで宗派として設立されたように、終わりの日には巨大な組織に なってしまいます。主の教会の種も、しるしとわざとを行い、また生けるキリストが彼らと共にいたことで始まっ たように、最後の日にマラキ書4章の聖職に導かれて、かつて伝えられた最初の信仰に戻るでしょう。
さて、この邪悪な時代は、花嫁がエバのような女性ではないことを悪魔に証明するときだと私たちは分 かっています。花嫁は神の御言葉によって試されるでしょう。 アダムの妻も御言葉によって試みられました。 アダムの妻は御言葉をすべて信じていましたが、1つの約束だけ(『主は昨日も、今日も、いつまでも変わる ことがないこと』)を混同してしまいました。エバは敵の誘惑に乗って、この1つの約束を間違えて捉えてしま ったのです。さて、神の御名を負う人々はもちろん主の花嫁です。この花嫁は、宗派の真理などではなく神の あらゆる御言葉によって、同様の試しに会うことになります。
聖書の初めに、人は神の御言葉で生きるものです。しかし、後でサーパントと呼ばれた動物にいた悪魔 と呼ばれた人によって、誤った解釈をされてしまいました。この動物にいた悪魔がエバに話かけ、彼女に御言 葉を誤って解釈し、そしてエバは堕落してしまいました。すべて聖書どおりの御言葉でなければならないの です。
聖書の真ん中で、イエスが来ました、悪魔に試みられたイエスは、「人はパンだけで生きるものではな く、神の一つ一つの言で生きるものである」と言いました。神は、最後の日にこの世の神が起きると我々に教 えて下さっています。御言葉に書き加える者、あるいはそれを取り除く者がいれば、その人の受くべき分は命 の書から取り除かれます。どうか、神が我々を哀れみますように。頑固でえばりくさり、高慢なうえに知ったか ぶりをすることは止めましょう。かつて我々も神様に不服従でしたから。恵みと哀れみと心の中の神に対する 愛をもって、謙遜に恵みの御座の前に来ましょう。
不思議ですね。福音が伝えられてからおよそ1900年が経つ今日の世界の体制は、主がここにいらした 時代よりさらに邪悪になっています。世界の体制はさらに邪悪になってしまいました。世界はクライマックスに 向かっています。皆さんはわかっていますね。主はその御言葉をすべての方面で成就しているのです。
ヨハネの黙示録 18:4-5,
4 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、 その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
5 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。----
これはなんという警報でしょう.それは実に教会を黙示録3章14節に書かれたラオデキヤ教会時代に 戻らせています。その教会は無法でとても信心深い、しかし無法なのです。「あなたは、自分は富んでいる、 豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身があわれむべき者、貧しい者、目の見 えない者、裸な者であることに気がついていない」。これは完璧にこの時代に当てはまるのです。これはダニ エルの時代のためではなく、ノアの時代のためでもなく、しかしこの最後の邪悪な時代についての事です。ここで注意してください。『あなたは裸な者である』!この事を心に深く染み込ませてください。この考え について私と意見を異にする人たちがたくさんいると思います。しかしこの時代、キリスト教徒は、「肌を露出 した女性たち」に満ちた邪悪な時代に入らずに外出することは難しいまで事態は進行したのです。
女性たち、これから言いますので、これから言うことを聞いてほしいのです。そして男性も女性も、私と 意見が違うかもしれませんが、私はこのことを言うのに導かれていると感じるのです。裸に近い服を着てい る女性は、健全な精神状態ではないことをご存知でしたか?彼女がそれを信じるかどうか、思っているかど うかに関係なく、彼女は売春婦だとご存知ですか。女性は神の前にその手を上げ、夫以外の男性に触れら れたことがないと誓うかもしれません。またそれは率直な真実であるかもしれません。しかし、それでも彼女 は売春婦です。イエスは、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」 と言いました。多分女性は...
見てください、聖書によれば、彼女は裸であるが、そのことに気づいていません。彼女にこのような事を させる霊は悪霊・売春婦の霊です。彼女の表面、身体、肉体は清らかかもしれません。彼女は姦淫を行わな いと神に誓って、また彼女は姦淫を行わなかったかもしれませんが、彼女の霊は売春婦の霊なのです。彼女 はこのファッション界の神に盲目にされ、挑発な服を着て外に出てきたのです。
----
外なる人とは6つの感覚、というよりは五感に支配された物理的なものです。内なる人は、良心や愛と いった5つの感覚に支配される霊的な存在です。外なる人は、視覚・味覚・触覚・嗅覚・聴覚に支配されてい ます。しかし霊の内には魂があり、それはある一つのもの、あなたの自由意志に支配されます。あなたは悪魔 が言うことを受け入れるか、あるいは神が言うことを受け入れるか選択ができます。どちらを選ぶかで、あな たの内にどんな霊がいるかを決めるでしょう。それが神の御霊であるなら、世にあるものではなく神から与え られたもので養われるでしょう。イエスは言いました。「世と世にあるものとを愛する者があれば、神の愛が彼 の内に入ってさえいない」。悪魔はあなたを騙した。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ 一つのことばによる。」注意して御覧なさい。彼女が裸な者、淫らな者、そしてヌードであることが分かります。 世界は今まで最も悪い時代にいるようです。ノアの大洪水の直前、世界が滅びる前を除いたどんな時 代においても、決して女性はこのように振る舞いませんでした。イエスはそれについて言及しました。それに ついては、後で話しをしましょう。
神は支配することができなくなったのでしょうか、それとも他の者が支配することを許しているのでしょ うか。よく分かりません。この質問に適する答えは... 私の考えですが、今日世界には相反する2つの霊が存 在し、それらが作用しているのです。 2つ以上の支配者がいるはずはありません。1つは聖霊の働きです。も う1つは悪魔の霊がこの最後の日で欺いています。ここで、私はこの事に基づいて我々の残りのテーマ・メッ セージを話すつもりです。
2つの霊が存在します。1つは神の聖霊で、もう1つは騙している悪魔の霊です。 地球の人々は今その 選択をしています。 聖霊はここにいて、キリストのための花嫁を呼んでいます。聖霊は、彼女にこの時代の約 束された御言葉を証明することによって、それはキリストであることを示し、呼んでいるのです。指がこの時 代に動くことになっているなら、指は動くでしょう。足がこの時代に動くことになっているなら、足は動くでしょ う。 目がこの時代に見ることになっているなら、目は見るでしょう。分かりますね。 神の御霊は神の完全な像 にまで大きくなったとき...我々が生きているこの時代、聖霊はここにいらして、この時代のメッセージを証明 し、神を信じている人々がこの混乱から呼び出されるように動いています。悪魔の不道徳な霊は、始めにした ように神の御言葉を悪用し、いつものように誤りによって、その教会を選び出しています。もう一度種子の時 代へ戻っているのがわかりますか。エデンから、もう一度ここにきています。
完全なアカウントを読む...
この邪悪な時代の神。