黙示録。
ヨハネの黙示録。
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イエス・キリスト の黙示。ヨハネの黙示録 1:1-3,
「イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与え になったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。 この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。 時が近づいているからである。」この本の筆記者は(著者ではなく)聖ヨハネです。歴史家は、この本の執筆時点では、彼はパトモス島にいっ たが、彼は、人生の最後の期間にエペソに住んでいたことに同意します。これはヨハネの人生の物語ではあり ません、これは将来の教会時代についてのイエス·キリストの黙示です。第3節でそれは予言と言い、それは本 当のことです。
この本は、通常、ヨハネの黙示録と呼ばれるが、それは正しくありません。それはすべての時代のクリスチャン のためにヨハネに与えられたイエス·キリストの黙示です。それは聖書の中で筆記者に個人的に現れることを通 して、イエスご自身によって書かれている唯一の本です。
これは聖書の最後の本ですが、福音書時代の始まりと終了を教えてくれます。
revelationのギリシアの語は“apocalypse”で、「除幕」を意味します。この「除幕」は、彫刻家が彫刻作品 にかぶる布を取り除き、観衆に展示する時の様子を例にして完璧に説明できます。それはふたを取ることであ り、以前隠された物を明かします。 明らかにされるのがキリストに対する黙示だけでなく、これから来る7つの教会時代についての黙示です。 真の信者に聖霊によって黙示の重要性が強調しすぎることがありません。黙示あなたにとっての黙示はおそ らくあなた自身が実感しているのよりも遥かに重要です。今、私は言っているのはヨハネの黙示録とあなたのこ とではなく、 すべての黙示について話しています。それは教会にとてつもなく重要です。
あなたは、マタイ16章でイエスが弟子たちにこの質問をしたのを覚えていますか。
「『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』 かれらは言いました。『バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たち はエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。』 イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』 シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』 するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示 したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わた しはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』」ローマカトリック教会は、教会はペテロの上に建てられていると言う。今では本当に現世な考えです。神はこ のような不安定で、主イエスを否定し、そうしたときに呪われた男の上に教会を建てられることなんてできるの ですか。神は罪の中に生まれた男の上に御自分の教会を建てられることはできません。そして、それは神がそ の場を神聖な場所とされることができるかのようにそこに横たわっているいくつかの岩ではありませんでした。 それはプロテスタントが言うように、教会がイエスの上に構築されていることでもありません。それは黙示です。 それは聖書に書かれているように:「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの 父です。この岩(黙示録)に基づいて私はわたしの教会を建てよう」:教会は黙示に基づいて、「主はこう仰せら れました」の上に建てられました。
どのようにアベルは神に適切な犠牲を提供するためにどうすればよいのかを知っていましたか?信仰に よって、彼は血の黙示を受け入れました。カインはこのような黙示(彼は戒律を持っていたにもかかわらず)を取 得できなかったので、正しい犠牲をささげることはできませんでした。神からの黙示が違いを生み出し、アベル に永遠の命を与えられました。今、あなたは、牧師が何を言うかもしれません、または神学校で教えられるかもし れません、雄弁であなたに教えられるかもしれません、イエスがキリストであり、主の血であなたを清め、神があ なたの贖い主であることをあなたに明らかにするまでは、あなたは永遠の命を持つことはありません。それは聖 霊の黙示がされたことです。
ヨハネの黙示録は、イエス御自身の黙示とイエスがそれらの7つの時代の教会のためになさっていることの 黙示です。それは黙示です、なぜなら、弟子たち自身はこれらの記録された真理を知りませんでした。これは、 以前に彼らに明かされませんでした。あなたは使徒の働きでは彼らがイエスのもとに来て、「主よ。今こそ、イス ラエルのために国を再興してくださるのですか。」と尋ねたことを覚えていますか。そしてイエスは、「いつとか、 どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。」と答えられました。使徒たちは、まだイエス 様はこの世で王国を作られると考えていました。しかし、主が構築するつもりのものは霊的な王国だったので す。でも、主は父なる神が御自分にそれをまだ明かされていなかったため、その中の御自身の位置について使 徒たちに教えられることができませんでした。主の死と復活の後、主が仲介者として働かれるこの特定の時間 に、彼は御自分が教会の中での栄光と存在についての黙示をヨハネに述べられることができます。
この黙示で主は悪魔の終結が何であるかを教えられます。主は御自分がどうやって悪魔に立ち向かわれ、 火の池に投げ入れられるのかを教えられます。主はサタンに従った邪悪なものたちの終結を明らかにされます。 そしてサタンはそれが嫌いです。(ヨハネの黙示録20:10)
あなたは今まで、サタンは聖書の他の本と比べて特に2冊の本が嫌いなのに気づいたことがありますか?自 由主義の神学者と疑似科学を通して、サタンはいつも創世記とヨハネの黙示録を攻撃しています。この2冊の 本の中で、我々はサタンの起源、その邪悪な行いと絶滅が見えます。彼はそれらを攻撃している原因です。サタ ンは公開されることを憎みますが、この2冊の本の中でまさにサタンが何のものかをはっきりと暴露しています。 イエスはサタンについて言った、「彼はわたしと関係ない。わたしも彼と関係ない。」(ヨハネの福音書14:30)彼 はわたしに対して何もすることはできません。悪魔は、その異なることを証明したいと思いますが、できないで す。そのため、サタンはできるだけ御言葉の信頼性を破壊しています。しかし、教会は御言葉の聖霊の黙示を信 じてサタンを信じないときに、ハデスの門は教会に勝つことはできません。
もし気にしないのであれば、私は自身の伝道事業からここに少し言葉を入れてみましょう。あなたはみな私の 人生にあるこの贈り物は超自然的であることを知っています。その贈り物によって、私は聖霊によって病気や人 の心の中の考えを判別し、 そして神のみぞ知り隠されていることは私には明かにされます。あなた方が私と一 緒に立って、サタンは自分が暴露されそうだと知った時の人々の顔を見られたらと思っています。ほら、私が人 について話しているのではありません。それはサタンが罪、無関心、病気を通して人たちの命を制御していると いうことです。しかし、あなたたちは彼らの顔を見るべきです。サタンは、暴露されそうと知ったとき、人々の最も 独特な変化が表情の上に来るわけですサタンは恐れている。サタンは、神の御霊がサタンの行いを人々に知ら せることを分かっています。彼はこれらの集会をとても嫌っている原因です。人々の名前が呼ばれ、病気名が明 らかにされたときに、サタンはそれを嫌っている。これは何ですか?それは読心術でも、精神感応でも、魔術でも ないです。それは、聖霊による黙示です。それは私が知ることができる唯一の方法です。もちろん現世的な考え はそれが聖霊以外のものだと言うでしょう。
あなたがたにサタンが教会でイエス·キリストの黙示のこの本を憎むもう一つの理由をお見せしましょう。サタ ンは、イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがないことを知っている。サタンは90%神学者 よりもこのことを知っています。彼は、神が本質的に不変であると同じく、神の行いも不変であるということを 知っている。したがって、ペンテコステ時に神の御力を持った初期の教会こそがイエスは御自分の真の教会だ と主張されているのをサタンはよく知っています。(なぜならそれはマルコによる福音書16章17-18節に書かれ ていたのを成就したからです。) 他のすべての教会は偽物です。そうです。
これを覚えて下さい。真の教会中におられるキリストは使徒の働きの続きです。しかし、ヨハネの黙示録で は、反キリストの霊が教会に来て、それを汚し、ぬるくて、形式ばった無力なものにしようとすることを示していま す。それはサタンを暴露し、火の池に投げ込まれた時点に至るまで神の民を滅ぼし、神の御言葉を信じないよう にする行いを明かにします。 サタンはこれに反抗しています。我慢できないのです。彼はもし人々が真の教会 の黙示を得て、真の教会とは何か、その立場は何か、そしてより大きなことをすることができることを知ったら、 無敵の軍隊になることを知っています。信者たちはキリスト教の教会の枠組みの中で2つの霊がいるという真 の黙示を得て、神の御霊によって反キリストの霊を識別し、撃退すれば、サタンが教会の前に無力になります。 昔荒野で、キリストはあらゆる試みで御自分を制御しようとしたサタンを撃退したことと同じく、間違いなく、今 日も確実にサタンを撃退できます。はい、サタンは黙示を嫌っています。しかし、我々はそれが大好きです。私た ちの命の中での真の黙示によって、ハデスの門は私たちに打ち勝つことはできません、逆に我々はそれらに打 ち勝ちます。
このメッセージの最初に今勉強している本は、イエス御自身の将来教会時代でのお仕事の真実の黙示と述 べたことを思い出すでしょう。その後、私は、それは聖霊による黙示が必要であり、そうでなければ分からないと 述べました。これらの2つの考えを合わせると、普通の勉強と考察では、この本の真実を理解することができな い、それは聖霊の働きが必要だと分かります。つまり、この本は誰も明かにされるのではなく、特別な人々だけに 明かにされることを意味します。それは予言の洞察力を必要とします。それは、神からの御言葉を聞く能力を必 要とします。それは、超自然的な指導を必要とします。ただ学生みたいに、節と節を比較することではないので す。それは良いことですけれども。奥義は聖霊の教えを必要とします、そうでなければ、いつまでも明らかになる ことはできません。私たちは神の言うことを聞いて自分の心を開くこと、そして聞いて知るために聖霊に従順に することがいかに必要でしょうか。
すでに述べたように、この本(黙示録)は聖書を完結させています。しかも聖書の正典で正確に配置され、最 後に置かれてあります。今あなたたちはどうして この本を読んだり聞いたりする人は誰でも恵まれると言われ るのかが分かります。それは悪魔に対しての権威をあなたに与える神の黙示です。この中の御言葉を追加した り、削除したりする人は必ず呪われるのは、あなたたちには分かるでしょう。必ずそうでしょう。だれが神の完全 な黙示から何を取り出せば、敵を克服することができるであろう?それは単純なことです。御言葉の黙示ような 打ち勝つパワーより強いものは何もありません。3節では、本書には特別な関心を示す人に祝福を与えていま す。 私は、これは旧約聖書中祭司たちが朝会衆に御言葉を読む習慣を指すと思います。ほら、多く人は読む ことができませんでした ので、司祭は彼らに読む必要がありました。御言葉である限り、祝福がそこにありまし た。読んだり聞いたり、 それは関係ありませんでした。
「時は近づいている。」以前は、時間はまだ近づいていませんでした。神の知恵と計画では、この力強い黙示 (ただし、神は完全に知られている)はこれまで出て来ることができなかった。そこで我々はすぐに一つ原則を学 ぶ - 各時代に与える神の黙示は、その時代のみの、特定の時刻にしか来ることができません。イスラエルの歴 史を見てみましょう。モーセに神の黙示は歴史の特定の時間にだけ来ました。特に、人々は神に叫び求める時に 来ました。イエス御自身は、時が満ちたときにいらっしゃいました。彼は神性の完全な黙示です。そしてこの時 代に(ラオディキア)神の黙示は、その期限内に来るでしょう。これはたじろぐことがなく、早すぎることもないで しょう。考えてよく耳を傾けて下さい、我々は終わりの時にいるのである。
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